義母からオットに
「姉が私の名前を使って、手紙を送ったから、見ないで破棄してほしい」
という連絡があったそう。
はぁ‥?
他人の名前を語っての手紙を送るなんて、なんて非常識な!
たしか、彼女は教員だったような。
そのほかにも、この一件に対しては、腹が立つことがある。
まず、慰められる悲しみだと相手が思っていること。
義母の姉は夫を数年前に亡くしている。
だから、手紙を寄越したのだと推察。
私も過去に父を亡くしているからわかるけど。
悲しみには、癒すことができる悲しみと、そうでない悲しみがあるんだよ。
父を亡くした時には、他人からの慰めの言葉は、気にもならなかった。
でも。
子供を亡くした時の悲しみは、経験者でないと、決してわからない。
他人がなぐさめることなんて、決してできない。
むしろ慰めようなんて、考えることがおこがましい。
心が癒やされるのは、唯一、子供が帰ってきた時。
そんなこと、できるわけないんだから。
だから、慰めようとしてくる人をみると
「この人は、悲しみを軽くみているな」
と感じて、心がその人を拒絶する。
そしてもう1つ。
義母が、そんな手紙をよこすような、他人に、たぁ坊のことを話したこと。
義母はすごく悲しいとかで、電話口で泣き出すけれど、
私とは悲しみのレベルが違ったんだ。
たぁ坊のこと。
必要ない人に、話したくない。
他人が気軽に話題にすることが、許せない。
「手を合わせに行かなかったことを、責めたりしないか」
と聞いてくるような人だもの。
そんな、体裁を気にしての上京なんて、いらない!
子供を亡くした私が
してほしいことは
遠くから、そっと見守ってくれること。
そして遠くから、一緒に悲しんで忍んでくれること。
放っておいてほしいのね。
優しぶってコンタクトされると、その人が嫌いになる。
本当に心配してくれるのなら、放っておいてほしい。
どん底にいた時に投げかけられた、心をえぐるような一言。
心の排水溝に絡みつく髪の毛のように、流れることはない。
ダンナには悪いけれど、義理母は、もう2度と顔を見たくない、会いたくない、話したくない。
言った本人は、忘れているかもしれないけれど、絶対に許さない。


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